大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和53年(行コ)26号 判決

控訴人(原告) 名古屋放送株式会社

被控訴人(被告) 愛知県地方労働委員会

補助参加人 民放労連名古屋放送労働組合 外二名

主文

原判決中控訴人の敗訴部分を取消す。

補助参加人らを申立人、控訴人を被申立人とする愛労委昭和五〇年(不)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被控訴人が昭和五一年八月一四日付でなした原判決の別紙命令書記載の救済命令第一、二項中立松清隆に関する部分をのぞくその余の部分を取消す。

第一、二審の訴訟費用中参加によつて生じた分は、補助参加人らの負担とし、その余は被控訴人の負担とする。

事実

一  当事者双方の申立

控訴人は主文第一、二項同旨及び「訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人及び補助参加人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  当事者双方の事実上法律上の主張及び証拠関係は、左に付加するほか原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し原判決三枚目表七行目及び、一二枚目表九行目に「(ネ)」とあるのを「不」と訂正し、三枚目表九行目「同月一六日」の後に「頃」を加入し、一二枚目裏二、三行目の括孤の部分を削除し、(証拠関係につき中略)と訂正する。)。

(控訴人の主張)

(一)  昭和四九年と五〇年との両年に控訴会社と補助参加人民放労連名古屋放送労働組合(以下単に参加組合という)との間に作成された議事録確認書に基づく合意によつては右各年四月分の賃上げが解決されなかつたものであるとしても直ちにそれが個別的労働契約によつて決せられるべき事項であるということにはならない。

すなわち参加組合が結成された昭和三九年以降各年度の賃上げは、労使間の賃金協定(労働協約)によつて決定実施されており、各年度の協定は何れも唯一回の例外もなく、賃上げの内容とともに実施の時期をも定めていた。更に右協定はいずれも期限とか協定の終期を定めたことがなく、各年度の賃上げについて新しい協定が成立しない場合には、その前年の協定が適用されていたのであつて、賃上げが五月から実施された昭和四一年度、同四二年度、同四四年度の各四月分がこれに当るのである。したがつて昭和四九年度においても同年度の賃上げ協定が成立するまでの間は、その前年である昭和四八年度の賃上げ協定が適用されるべきであつて、直ちに就業規則が適用されるわけではない。賃上げが各年毎に労働組合との団体交渉によつて決定される以上このことは当然のことであつて、就業規則の適用は、適用すべき労働協約がない場合にはじめて問題となるのである。

しかも、本件において個別的労働契約として考えられる控訴会社の給与規則六条の「昇給は原則として毎年四月に行う」との規定にいう「昇給」とはいわゆる定期昇給を意味し、賃上げについて右規定の適用はなく、これは組合との団体交渉によつて決定するのが労使の慣行であつて、団体交渉を離れて賃上げ及びその実施時期を定める基準はない。

そればかりでなく、右の規定だけによつては、四月分についての改定後の賃金支払請求権は生ぜず、賃金改定の内容、基準が定まつてはじめて具体的な請求権が発生するものであるところ、昭和四九年度同五〇年度においては、四月分についてはその内容基準は前年度の協約に定める内容基準以外には参加組合との合意はもちろん、個々の組合員との合意ないし控訴会社の決定もなされていない。したがつて、給与規則の前記規定だけでは賃金の改定を具体化するに由なく、右の規定は賃上げについて機能する余地はないといわざるをえない。

(二)  控訴会社のいう妥結月実施方式とは賃上げを妥結した月の初日に遡つて実施するというものであつて、賃上げを団体交渉で妥結したときから実施し、契約の効力を契約成立時から生じさせるという一般的な場合に比べて、組合にとつて有利でこそあれ何ら不利益な要素を含むものではない。

およそ、団体交渉が早期に収拾されることは、労使何れの側にとつても望ましいことであつて、妥結月実施が労働組合に対し団体交渉の早期妥結を強要し、その団体交渉権に対する不当な抑圧的機能を営む面があるなどとは考えることができない。その様な面が多少なりともあるとすれば、例えば、企業内の少数派分子が他の多数者を無視して独善的で過激な行動をとる場合に、妥結月実施方式が右の少数派の行動を抑止する機能を営むことが考えられるだけであつて、これがあるからといつて右の方式が労働組合の団体交渉権に対する抑圧であるとすることはできない。

(三)  昭和四九年度において、参加組合は三月四日に控訴会社に提出した要求書により、基本給の一律五万円増の要求をはじめ、諸手当など直接給与に関する分だけでも八万円以上の増額要求を行つた。この要求は、大企業のそれが三万五〇〇〇円程度であつたのに対して全く世間相場とかけはなれた膨大なものであり、しかもこの他にも多項にわたる要求がなされていた。

これに対し、控訴会社は参加組合との数次にわたる団体交渉において、常に民放各社ないし全産業平均の回答額を上廻る回答を示し、誠意ある話合により早期の賃金改定の収拾に努力した。すなわち、控訴会社は同年四月一七日の第二次回答において、団体交渉における組合の要求(三万円以上の獲得)を十分に考慮して金三万〇九三八円の賃上げの回答をした。この回答額は、控訴会社の業績からみた場合精一ぱいの誠意ある金額であつて、控訴会社はその旨を参加組合に事務折衝団体交渉を通じて十分説明した。若竹会も同年四月三〇日に至り、この金額を諒承して妥結したし、参加組合自身も最終的にはこの金額で合意したのである。

しかるに、この金額による妥結を四月中になし得なかつたのは、ひとえに参加組合が自己の力を過信し、控訴会社の業績などから、これ以上の積上げ修正は不可能であることについての控訴会社の説明を無視し、あくまで高額要求の獲得に固執して闘争を継続したからであつて、組合の判断の誤りに起因するものといわざるを得ない。

参加組合も昭和四九年度以前の交渉においては、四月三〇日の深夜に及ぶ交渉等によつて同月中に妥結するためのそれなりの努力をしていた。ところが、参加組合は四九年度には、四月三〇日の午後に予定された団体交渉に先立つて同日正午から組合大会を開いたが、この大会において「七四年国民春闘の中間総括と今後の闘い」を議題とし四月妥結に対する何らの配慮をもなさず、五月への闘争継続をきめたものであつて、そのための口実として新要求を用意した形跡さえうかがわれる。

このように、参加組合の組合員と若竹会員及び無所属従業員との間に賃金改定の実施時期に差異が生じたのは交渉の態度とその妥結時期との差異による結果であり、控訴会社が、故意に交渉ないし回答の提示について参加組合と若竹会とを差別した事実は全く存在せず、また差別しようとした意図など毫も存しない。これに比して参加組合の五月に入つてからの交渉態度は本来の団体交渉といえるようなものではなく、従業員家庭に手紙を出したり、控訴会社の副社長、専務、局長らへの面談を求めたり協力を要請するという類の行動に頼つた安易なものであつた。このような参加組合の姿勢は「会社にとつて一二〇万円は大した額ではない。」との主張にも顕著に表わされており、自己の交渉力の過信もしくは情勢の粗雑な検討による予測の誤りの結果、自ら招いた不利益を控訴会社に転嫁しようとする参加組合の主張は到底容認することができない。

(四)  昭和五〇年度における参加組合の要求額は平均九万円という膨大なものであり、オイルシヨツクに引続く不況、その中における春闘相場の見とおし等に鑑みた場合常軌を逸した要求であるといつて過言ではない。ちなみに同年度における全産業平均要求額は三万七七五七円であつた。

これに対し控訴会社は数次にわたる交渉の末同年四月二四日に平均二万三一九六円の第三次回答をなしたが、これは民放各社の回答額平均一万九七〇八円を相当上廻るものであつた。しかるに参加組合は、この回答が一五・一パーセント増であることをとらえ、日経連政府等の発言による一五パーセントガイドラインに沿つたものであり、不満であるとの態度を示した。これに対して控訴会社は、客観的世間相場は現実には一三パーセント台であるが、会社の回答はこれにこだわつたものではないこと、この回答額は会社の業績等に鑑みた場合精一ぱいの額であること等を説明して、参加組合の納得を求めたが、参加組合はこれを拒否した。このような参加組合の態度は春闘共闘委員会(参加組合もこれに属していた)の一五パーセントガイドライン打破の方針のみに固執したものと考えざるを得ない。

同年度の交渉は、若竹会、参加組合ともに前記第三次回答額により妥結したが、若竹会との妥結は四月三〇日であつたのに参加組合との妥結をみたのは五月二三日であつた。

このように控訴会社が四月中に出せる限りの賃上げ額を提示し、四月中妥結のための十分な誠意を示したにもかかわらず、参加組合との交渉が同月中に妥結しなかつたのは、参加組合が「高額要求、高額獲得」の基本姿勢と一五パーセントガイドライン突破の春闘共闘委員会の方針とに固執し、控訴会社の業績など情勢判断を誤つて無用な闘争を継続したことに因るものであつて、参加組合の組合員と若竹会の会員との間に賃金改定の実施時期に差異が生じたのは、控訴会社が両者を差別して扱つたことによるものではなく、両者の交渉態度の差によりもたらされた結果であるにすぎない。

(被控訴人の主張)

妥結月実施方式は、それについて労使の合意がない以上、特段の事情のないかぎり、労働組合の運営に対する支配介入ないし組合員に対する不利益取扱として労働組合法七条一、三号に該当するものである。けだし、労使の協定による賃上げを協定妥結の月から実施するという原則を認めるときは、協定遅延による不利益を労働組合におしつけることになり、この不利益を避けるために労働組合は早期妥結を強要される結果となつて、労働組合法が保障している団体交渉権の正当な行使も覚束なくなること多言を要しないからである。本件においては妥結月実施の正当性合理性を認めうるような特段の事情も全く存しない。

(参加人らの主張)

(一)  控訴会社と参加組合との間の賃上げ協定に関する労働協約は、毎年度春、ほとんど例外なしに賃料改定の交渉が行われた結果結ばれているものであるから、本来各年度の賃上げという特定された問題を扱うものであつて、協定中に期限の明示がないからといつて、翌年度の協定が効力を生ずるまでの間は全面的に前年度の協定が当該年度を超えて適用されるものではない。したがつて、本件のように賃上げの実施時期について争いが残り、右範囲で労使間に合意が成立しないときは、前年度の協定が機能する余地はなく、基準となるものは個別的労働契約であるといわねばならない。

そして右の個別的労働契約にあたる控訴会社の給与規則の第六条にいう「昇給」とは、従来、控訴会社においては定期昇給と賃上げとが一体のものとして同時に実施されてきた実績に鑑みると、賃上げの意味をも含むものと解釈すべきである。右の規定による組合員の権利は、当該年度の改定分に関し金額その他が妥結に至るまでは、抽象的な請求権であるけれども、これが妥結したときは具体的な賃金支払請求権となり、その実施時期についての特段の合意がない限り、右の規定によつて、組合員は四月一日に遡及して右の具体的権利を取得することとなるのである。

(二)  控訴会社の主張する妥結月実施方式は、労使間でその方式による旨の合意が成立するか、もしくは両者の交渉の経過やその内容等からこれによることを相当とするような特段の事情のある例外的場合にかぎつて許されるものである。そのような特別の事情もないのに使用者側があえてこの方式に固執することは、「交渉が長びけば賃上げ分がカツトされ損をするぞ」という脅しによつて労働者側の賃上げ要求を制限しようとするものであつて、労使対等の原則を空文化し、労働組合に対する抑圧的機能を営む不当労働行為であるものに他ならない。とくに本件において控訴会社は妥結月実施に固執することにより、参加組合の組合員三七名だけに対して四月分の昇給をカツトするという異常な組織攻撃、不当介入、組合員差別を行つているのであるから、このような行為が不当労働行為であることは明らかであるといわねばならない。

(三)  昭和四九年三月四日参加組合は控訴会社に要求書を提出したが、その内容は賃上げ一律五万円をはじめ諸手当の増額などを含むもので、これを基準給増額として計算すれば本社勤務で妻と子一人を抱える労働者の場合に六万八〇〇〇円程度の増額を求めるものであつた。狂乱物価といわれる三〇パーセントを超す消費者物価の上昇が働く者の生活と将来に大きな不安をもたらしている状況の下では参加組合のこの要求は生活実態に根ざした切実なものであつた。

右の要求に対する控訴会社の態度は不誠実きわまりないものであつた。四月一七日の最終回答(第二次回答)の内容は賃上げ分二万二六一九円、諸手当七八四〇円であり、労働者全員に該当しない諸手当こみで三万〇四五九円というものであつた。これは会社側の第一次回答である二万〇六〇七円に対し参加組合が四月一五日に提出した一万円の積み上げという大幅に譲歩した要求を全く考慮しない一方的な低額回答であつた。この回答の対基本給上昇率は二二・六パーセントで、民間主要企業の平均二万八九八一円、上昇率三二・九パーセントと比べると大幅に低いものであるのに、控訴会社は賃上げ額に諸手当を含ませた金額と民間平均の賃上げ額とを比較し、民放は高い回答であるような見せかけの作為をしたのである。

その後四月二六日の団体交渉においても参加組合の切実な積み上げ要求にもかかわらず控訴会社は第二次回答が最終回答であるとして譲らず、妥結月実施も撤回しなかつた。そこで、参加組合は四月三〇日に臨時大会を開き、控訴会社が最終回答を固執し、参加組合の大幅に譲歩した要求に対して誠意をもつて検討しないことや、物価上昇に伴う生活不安などさまざまな状況を討議した。そして更に譲歩した五〇〇〇円の積み上げ及びこれを含む五項目を要求として提出することを確認した。

参加組合は右の臨時大会後控訴会社と右の要求事項について団体交渉を行つたが全く前進が見られなかつたので五月に入つてからも要求をしつづけることを通告した。参加組合の右要求は、当初の要求から大幅に譲歩したものであり、控訴会社が誠意をもつて検討すれば充分解決できるものであつた。控訴会社の最終回答である賃上げ分二万二六一九円に五〇〇〇円の積み上げを行つても民間平均を下廻るものであつたし、また社会保険料の会社負担の要求にしても、会社としては一挙に全額負担することを避けてその負担割合を変更するなど現実的な対応方法であつた筈である。しかし控訴会社には頭から検討しようという姿勢がなく、交渉らしい交渉はできない状態であつた。

参加組合は五月に入つてから単に団体交渉開催要求だけでなく、さまざまなとりくみを行い控訴会社の態度変更に努力した。すなわち従業員の家庭に協力を訴える手紙を出したり、わかりやすい資料を作成して全従業員に配布したり、それをもとにして会社役員に参加組合の正当な要求や控訴会社のずばぬけた好業績を説明したりして、要求解決に一歩でも努力してもらえるようにつとめた。しかし、控訴会社はこのような参加組合の努力を全く顧みることなく妥結月実施を強行し、参加組合に対して徹底した差別弾圧の労務政策を遂行した。参加組合の組合員に対する四月分の昇給カツト分は総額で一二〇万円に過ぎず、この金額は、四億円の資本金で出発し一五年間に七〇億円近くの資産を蓄積した控訴会社にとつては大した額ではないはずであり、控訴会社が参加組合の要求に対しかたくなな態度をとらず、常識的に対処しさえすれば、本件のような紛争は発生しなかつたのである。

(四)  昭和五〇年度においては参加組合は三月五日に控訴会社に要求書を提出した。右の要求において、参加組合は基本給の大幅アツプを求めるとともに、それと並行して年齢別ポイント賃金という賃金体系も要求した。これは民放の人件費の特徴として基本給を非常に低く押さえ、変動要素の強い諸手当や夏冬の一時金で補つているという実体をカバーする是正要求をこめたものであつた。

これに対して控訴会社は、参加組合が回答日として指定した三月二四日(例年の三月中旬を大幅に譲歩したものであつた)を無視し、同月二八日に第一次回答を出したが、それは一二~一三パーセントの賃上げという非常に低いものであつた。参加組合は右第一次回答を拒否して第二次回答を要求し、賃上げ三五パーセントの要求をしている若竹会もただちにこれを拒否し、第二次回答を要求した。参加組合は第二次回答を有利にするため、ストや館内デモの実施、腕章やワツペンの着用などの団体行動を行い、団結を強める努力をした。

控訴会社の四月一八日の第二次回答は第一次回答に二四〇〇円を上積みするというものであり、四月二四日の第三次回答では右に一三〇一円を上積みした金額が示された。右の第三次回答の内容は、参加組合の要求や控訴会社の好業績にもかかわらず、この年度に政府日経連の掲げていたいわゆる一五パーセントガイドラインにぴつたり沿つたもので全く誠意のあるものではなく、物価上昇等の状況の中にあつて到底組合員の生活向上を期待できるようなものではなかつた。そこで、参加組合は五月に入つてからも賃上げの積み上げ、妥結月実施反対の要求をかかげ、スト、宣伝活動、アピール等を行つて積極的に控訴会社に譲歩を迫つたが、控訴会社の姿勢を変えさせるまでにいかなかつた。

(五)  右両年度の賃金改定の経過を通じて、控訴会社は、参加組合の要求に対して「賃上げ要求が高すぎる。」「要求項目が膨大すぎる。」などと非難し、また「控訴会社の賃金水準は高位に属する。」と宣伝し、民放における基本給の全体的な水準の低さが問題になつていることを考慮せず、参加組合の要求に誠意をもつて答えようとしていない。

また控訴会社は、参加組合のさまざまなとりくみについて民放労連、春闘共闘委員会のスケジユール闘争に従つたものだと批判し、中傷を加えている。しかし、春闘に際し政府日経連などがガイドラインを設けて相場づくりに大きな役割を果し、介入している情勢の中では、労働者が節目を設けて、そこに力を結集して政府日経連の壁を少しでも打ち破り、賃上げを獲得しようとするとりくみを行うことは労働運動として当然のことである。特に春闘共闘委員会に結集する何百万人という労働者の団結を固めるためには、早くから計画を立てこれに従つて行動することが不可欠であるといわねばならない。

参加組合は、分裂させられ少数人員となつたが、日本全体の労働運動を強化発展させる立場で民放労連に結集してきた。参加組合は、決して自己の力を過信しているものではなく、己の弱さを知りながら、それを大きな連帯で克服してゆくことが要求解決につながる道筋だと考えているのである。しかるに、控訴会社は参加組合の行動をスケジユール闘争と批判し、団結破壊の思想攻撃を行い、参加組合の要求解決について全く努力をしないものであつて、その姿勢は当然非難さるべきである。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一  控訴人の請求原因一の事実二の(一)(二)の事実に関する当裁判所の認定判断は原判決の理由中、原判決一六枚目裏三行目から二一枚目裏二行目までに記載されたところと同一であるからここにこれを引用する。(但し、原判決一六枚目裏四行目から六行目にかけての括弧の部分を削り、同一七枚目表九行目の「二五、二六、四九、」を「一、二五、二六、四九、」と、同一〇行目の「一、二四、」を「二四、」と各訂正する。)

二  右に認定判断したところによれば、控訴会社と参加組合との間には右両年度において五月に妥結を見た賃金改定に関し、妥結月実施の労働協約は成立しなかつたし、妥結月実施の労使慣行も存しないものと認めるべきであるが、同時にまた、これを四月に遡つて実施する旨の合意も労使慣行もなかつたものと認めるべきである。

参加組合はこのような場合賃金改定の実施時期については個別的労働契約によるべきであつて、控訴会社の社員就業規則(成立について争いのない乙第三号証の三一)五〇条の「社員の給与については、別に定める給与規則による。」旨の規定及びこれを受けた給与規則(同第三号証の三二)六条の「昇給は原則として毎年四月に行う。」旨の規定の適用により、賃金改訂は四月一日から実施されるべきであると主張する。

しかし、まず右の給与規則六条にいう「昇給」とは定期昇給のみを意味するものと解するのが相当であつて、右の文言が賃上げをも含むと解釈するのは文理上困難であるといわざるをえない。のみならず成立について争いのない乙第一号証の八、第三号証の六ないし一六、二一及び原審証人佐藤信の証言を総合すると、控訴会社は、参加組合結成前の昭和三七、三八両年度においては一方的に四月から賃上げを実施したが、参加組合が結成された昭和三九年以降同四八年までの間は、参加組合との間の労働協約で合意された額によつて、合意された時期(四月一日ないし六月一日)から賃上げを実施して来たこと、及び右のすべての年度を通じて、定期昇給と賃上げは同時に行われており、各年度共に年齢給については、一律に基準額を増額(賃上げ分)した上、各従業員につき一律に一歳分を加算し(定昇分)、職能給については各職級毎に一律増額(賃上げ分)と査定分(定昇分)とを定めるという方式によつていたこと、が認められる。右の事実によれば、控訴会社においては、定期昇給と賃金改定とはその実施時期を含めて参加組合との間に成立した労働協約によつて定められてきたものであるから、この場合には協約が前記給与規則の規定に優先して適用されるというべきであり、他方、未だ何らの協約の成立していない本件両年度の四月分の賃金について直ちに右の規定が適用される余地もないというべきである。改定されるべき賃金の額が未定である以上、右の規定が働く余地はなく、この場合には、新しい協約が成立するまでの間は、前年度の協約を適用する他はないといわねばならない。したがつて、前記両年度の賃金が右の給与規則の適用により四月分に遡つて改訂された旨の参加組合の主張はこれを採用することができない。

三  しかしながら、本件紛争の当時、控訴会社には参加組合(組合員三八名)と昭和四四年七月に控訴会社の従業員で組織された親睦団体である若竹会(会員約一〇〇名)とがあり、その他に右のいずれの団体にも加入していない従業員が六〇名いたこと、及び昭和四九・五〇年度において控訴会社は、四月に賃上げ交渉が妥結した若竹会所属の従業員及び無所属の従業員に対しては四月分からの賃上げを実施したが、右と同一内容の控訴会社の提案を四月中には受諾しなかつた参加組合の組合員に対しては妥結月実施方式を適用して四月分の賃上げを実施していないことは当事者間に争いがなく、そのため、控訴会社の従業員の内、参加組合の組合員とその他の従業員との間に右両年度の四月分の賃金について差異が生ずる結果となつたことは明らかである。

そして右のような結果を生じたのが単に参加組合の見透しや判断の誤りに基づくものではなく、むしろ控訴会社において妥結月実施方式を固執することによつて参加組合に対し交渉の早期妥結を強要し、参加組合の団体交渉権の抑圧やその運営に対する支配介入を企図したことを窺わせるような特段の事情が認められるときは、参加組合の組合員が右両年度の四月分の改訂賃金支払請求権を私法上有すると否とにかかわりなく、控訴会社の行為が不当労働行為を構成することもありうるといわねばならない。

四  これを本件について見るに、成立について争いのない乙第一号証の一ないし一一、第二号証の四、九、一〇、一二、一五ないし一七、二五、二六、四〇、四五、四七ないし四九、五七、五八、第三号証の五、六、二四、二六弁論の全趣旨により成立を認める乙第二号証の五、一一、一四、一八ないし二三、三六ないし三八、四一ないし四四、五〇、五一、五六原審並びに当審証人水谷修、同佐藤信の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  昭和四九年度賃金改定交渉の経緯

1  参加組合は、昭和四九年三月四日付の要求書をもつて同年度の賃金改定について、一律五万円の賃上げ、その他諸手当の増額等、概算で約八万円の増額の要求をなし、同月一五日までに回答することを求めた。なお同年度における民間の平均要求額は三万五一七七円であつた。これに対して、控訴会社は同月一八日の団体交渉において、会社の業績の見通しが難しく、経済の動向が流動的であるから、回答は三月下旬か四月上旬になるであろうこと、及び要求が非常に高額かつ多岐にわたつているので、参加組合が満足するような回答を出すことは困難であろうことを説明した。

2  控訴会社は四月一日参加組合に対し、賃上げ分二万〇六〇七円、諸手当分四二九八円合計二万四九〇五円を増額し従前どおり妥結月実施とするとの第一次回答をなした。控訴会社の右回答は民放各社の第一次回答の平均二万二九二九円を若干上廻つていた。これに対し参加組合は「平均三万円を下廻る回答は物価上昇に見合わず、生活破壊を示す狂乱回答である」として更に一万円以上の上積みをすることを要求し、同月五日にその旨の要求書を控訴会社に提出した。

3  控訴会社と参加組合はその後数次にわたる事務折衝を重ねていた。しかるところ四月八日には鉄鋼大手五社の二万五五〇〇円、造船重機八社の二万七五〇〇円の賃上げ回答があり、四月一三日に私鉄が中労委斡旋により二万八五〇〇円の賃上げで妥結し、同日公共企業体も二万七六九一円の賃上げをする旨の公労委仲裁裁定で妥結したことから、控訴会社としても賃上交渉の早期解決のためには、賃上げの上積み修正を行う必要があると判断し、四月一七日賃上げ分二万二六〇九円、諸手当分七八四〇円合計三万〇四四九円を増額し妥結月実施とする旨の第二次回答をした。これは同年の民放各社の最終的な平均妥結額三万〇〇六〇円を若干上廻るものであつた。

4  しかし参加組合は、春闘相場は三〇パーセントをこえていると新聞報道されていることなどを理由に、第二次回答を不満とし、四月二二日文書をもつて物価上昇は二五パーセントをこえており手当こみで二五パーセントに満たない第二次回答は不当であるから、最低一律五〇〇〇円の再上積みを要求した。これに対して控訴会社は四月二六日に開かれた団体交渉において、第二次回答はあらゆる点を考慮した最終回答であつてこれ以上の修正は不可能である旨を回答して右要求を拒否した。

ところが参加組合は四月三〇日に臨時大会を開催し、五〇〇〇円の上積み、健康保険料等の全額会社負担、嘱託従業員の住宅手当支給、インフレ昂進など事情変更による賃金再交渉に関する協定の締結、妥結月実施撤廃の諸要求をすることを決め、大会終了後、控訴会社と団体交渉を行つた。しかし、右要求は控訴会社において即時に応じられないものばかりであつたので、団体交渉は不調に終り、五月以降に継続されることになつた。

5  参加組合は五月に入つて後、従業員の家庭に協力を求める手紙を出したり、松永専務や土井、新井、隠岐三局長に面談して協力を要請したりしただけであつて、自己の要求を貫徹するために団体交渉を精力的に行つたこともなく、争議行為をしたこともなかつた。

6  五月一七日団体交渉が行われたが、控訴会社は、第二次回答以上に上積みをする意思はなく、妥結遅延による責任を参加組合がとる意味からも、妥結月実施は当然であつて妥結月実施の撤廃要求には応ぜられないと主張し、交渉は何らの進展もみられなかつた。そこで、参加組合としてはいつまでも妥結しないと、控訴会社から賃上げ分の支給が受けられないことから、五月二三、二四日の両日臨時大会を開催して討議した結果、控訴会社の第二次回答を受け入れるが、妥結月実施については引続き交渉することを決定し、その旨控訴会社に通告した。

7  五月二七、二八日の両日も団体交渉が行われたが、参加組合は四月一日実施を控訴会社は妥結月実施と主張して互に譲らず、かくて五月二八日双方は、昭和四九年度の賃金改定につき前記のとおり「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意、妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。」旨の議事録を作成してその旨を確認し、控訴会社は五月三〇日組合員に対して五月分の増額分を支給した。

8  若竹会は三月一〇日頃要求書をもつて賃金改定を要求した。控訴会社は参加組合に対すると同時期に同一内容の回答をなしたが、若竹会幹事会は四月一七日の第二次回答以来控訴会社と折衝を重ね、同月二六日右回答額で妥結することに決し、同月三〇日協定を締結した。

若竹会が妥結したのは、主としてこれ以上の積上げは期待できず、妥結月実施方式そのものには強い不満はあるが控訴会社がこの方式を撤回しない以上四月中に妥結した方が良いとの判断に基づくものであつた。

(二)  昭和五〇年度賃金改定交渉の経緯

1  昭和五〇年度においては参加組合は春闘共闘委員会に加入し、その指導のもとに春闘を行うことになつた。参加組合は三月五日要求書をもつて同年度の賃上げ平均九万円(七〇パーセント)等の要求をなし、同月六日団体交渉を行つた。なお同年度における民間の平均要求額は三万七七五七円であつた。

2  三月二八日控訴会社は、基本給諸手当合計平均一万七七二九円の増額(アツプ率一三パーセント)、妥結月実施とする旨の第一次回答をした。これはこの日までに出た民放各社の回答一〇社の平均一万六五五一円を若干上廻つていたが、参加組合はこれを拒否し第二次回答を要求した。そこで、四月一八日控訴会社は、第二次回答として基本給を二四〇〇円増額して合計二万〇一二九円の増額をする旨の第二次回答をしたが、参加組合はこれを拒否した。

3  四月二四日控訴会社は、第三次回答として基本給と住宅手当の積上げをして合計二万三一九六円の増額をする旨を提示した。これは、民放各社の最終的な平均妥結額二万〇六三〇円を上廻るものであつた。参加組合は控訴会社に対し、この回答は日経連経営者側が提唱していた一五パーセントガイドラインに沿つた内容であり、金額アツプ率ともに低く、また妥結月実施を撤回していないなどの点を挙げて再考を求めたが、控訴会社はこれを拒否した。

なお昭和五〇年度における鉄鋼大手五社の四月九日における賃上げの回答は一万八〇〇〇円台、約一四・八パーセントの増額であり、また一部上場の資本金二〇億円以上従業員一〇〇〇人以上のいわゆる大企業の賃上げの平均妥結額は一万五二七九円、一三・一パーセントの増額であつた。

4  四月三〇日に参加組合は控訴会社に対して妥結できない旨通告し、五月に入つても闘争を継続することになつたが、この年の五月も前年と同じく参加組合は自己の要求を貫徹するための団体交渉を精力的に行つたこともなく、争議行為をしたこともなかつた。

5  民放各社の春闘は五月に入つてなお続いたが、五月八日現在控訴会社の回答は定昇込み平均の比較で全国順位二四位、二五歳二七位(前年二一位)、三〇歳二五位(同一八位)三五歳二二位(同一三位)であつた。このような状況下で参加組合は五月七日の事務折衝及び同月一六日の団体交渉で再積上げ、及び妥結月実施の撤回を要求したが、控訴会社はこれを拒否したので、結局参加組合は、同月二六日実施時期について合意に達することのないまま、前年度と同様の事情から金額については第三次回答を受け入れることにした。ここに双方は前記のとおり「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。なお、五月分の差額は五月二八日に現金で支給する。」旨議事録確認書を作成し、控訴会社は組合員の賃金改定を五月から実施した。

6  若竹会は、三月四日要求書を提出し、控訴会社は参加組合に対してなしたと同様に、同月二八日総額平均一万五四四六円の第一次回答、四月一八日総額平均二万〇一九七円の第二次回答、四月二四日総額平均二万三一九六円の第三次回答をなした。これに対して若竹会は、低額回答であることに不満であつたが、四月二八日に第三次回答額で妥結することを決定し、賃金改定交渉を妥結させた。控訴会社は若竹会所属従業員の賃金改定を四月から実施した。

五  右に認定した昭和四九、五〇年度の賃金改定交渉の経緯によれば、控訴会社としては、いずれの年度とも早期に回答を提出し、その後の交渉を経た上、民放各社の最終平均妥結額を若干上廻る額を最終回答として提示しており、四月中に妥結すべく団体交渉等に誠実に努力したことは明らかである。そして、控訴会社の妥結月実施の提案は右の両年度に突如として出されたものではなく、参加組合結成後、賃金改定交渉の都度一貫して提案されていたものであること、控訴会社と参加組合との間の賃上げ協定のうち昭和三九年度の分は六月に、同四一、四二年度の分は各五月に成立しているが、右の三回の協定はいずれも当該妥結月に実施することで合意を見ていること、及び控訴会社が本件両年度において参加組合に対してなした回答は若竹会に対してした回答と全く同一内容のものであることは、いずれも前認定のとおりである。

他方、前記認定事実によれば、参加組合は右の両年度を通じて、四月中に控訴会社の最終回答を応諾できない事情がなんらないにもかかわらず五月に闘争を継続し、殊に昭和四九年度においては四月三〇日に至り、控訴会社が即時に承認するとは到底考えられないような賃上げの上積みを含む諸要求を提示して交渉の妥結を遅らせたが、両年度とも五月に入つてからは、自己との要求を貫徹するための争議行為らしい争議行為は何ら行わず、控訴会社の妥結月実施の提案を打破することを企図したけれども結局その目的を達成しえなかつたことが明らかである。

以上によれば、参加組合の組合員が昭和四九・五〇年の各四月分の賃上げ分に相当する賃金の支給を受けられなかつたのは、控訴会社が参加組合との団体交渉を拒んだり誠意を以て交渉にあたらなかつたことによるものではなく、参加組合が高額要求を掲げて徒に交渉を長びかせ、交渉の長期化防止のために控訴会社が従来から一貫して提案し、参加組合も嘗てはこれを承諾したこともある妥結月実施方式を拒み続けたことによるものであるといわざるをえない。そして、控訴会社の最終提案を五月に入つてから結局は応諾するにいたつた参加組合の組合員と同様の提案を四月中に応諾した若竹会所属の従業員との間に四月分の賃金について差異が生じたのは、ひとえに参加組合が情勢判断を誤り自己の力を過信して闘争を継続したことによるものであつて、右は参加組合の自由意思に基づく選択の結果であるというほかはない。

したがつて、控訴会社が参加組合の組合員に対してのみ、昭和四九、五〇年の各五月から賃金改定を実施し、その余の従業員に対しては右同年の各四月からこれを実施したのは、参加組合の弱体化をはかりその組合員に対して不利益な差別的取扱いをしたものとはいえず、これを不当労働行為であるとする本件命令における被控訴人の判断は失当であるというべきである。

六  そうすると、本件命令の取消しを求める控訴人の本訴請求は正当であつて、これ(立松清隆に関する部分を除く)を棄却した原判決は不当であるといわねばならない。よつてこれを取消して控訴人の右請求を認容することとし、民事訴訟法八九条九六条九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 秦不二雄 三浦伊佐雄 高橋爽一郎)

原判決の主文、事実及び理由

主文

一 参加人らを申立人、原告を被申立人とする愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被告が昭和五一年八月一四日付でなした別紙命令書記載の命令主文第一項中立松清隆に関する部分を取消す。

二 原告その余の請求を棄却する。

三 訴訟費用は、参加による分を含めて、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一 原告

(一) 参加人らを申立人、原告を被申立人とする愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、被告が昭和五一年八月一四日付でなした別紙命令書(以下「命令書」という。)記載の命令(以下「本件命令」という。)主文第一、第二項を取消す。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

二 被告

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一 本件命令

(一) 被告は、昭和五一年八月一四日付で参加人らの申立にかかる愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件につき、別紙命令書主文記載のとおりの本件命令を発し、この命令は同月一六日原告に送達された。

(二) 本件命令は理由中において、(1)昭和四八年度までの賃金改訂は事実上四月に実施されたと認められないことはないこと、(2)参加人民放労連名古屋放送労働組合(以下「組合」という)組合員に対する昭和四九・五〇年度の賃金改定は五月から実施されているが、この両年度の非組合員及び無所属従業員に対する賃金改定は四月から実施されていること、(3)原告給与規則六条に、昇給は原則として毎年四月に行うと規定されており、昭和四九・五〇年度には組合との間の賃金改定に関する協定がなく、単なる額についての議事録による確認があるに過ぎないこと、並びに組合が同意した額は組合員以外の従業員に対して実施されたものと同一であること、との事実を認定し、以上の点から考えると「組合が自己の力を過信し、情勢判断を誤つて五月に交渉を持ち込んだ責任の一端があるとはいえ、この組合員に対してのみ五月から賃金改訂を実施した原告の行為は、従前からの表面的な妥結月実施を理由として組合員を不利益に取扱い、ひいては組合の弱体化を企画したものであり、労組法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である」というのである。

二 本件命令の違法性

本件命令理由中前記一(二)(2)の説示はそのとおりであるが、同一(二)(1)(3)の説示は事実誤認であり、これを前提とする本件命令は、以下述べるとおり違法である。

(一) 議事録確認書による合意

1 本件命令は「会社と組合との間には実施時期に関する合意がなされておらないのに、会社がその決定により何ら合理的な理由なく組合員以外の従業員より一ケ月遅れた五月から賃金改訂を実施したのは組合員に対する不利益取扱いであり、ひいては組合の弱体化を企図したものである」とするが、次のとおり五月実施には組合との合意という根拠が存するのであつて、この点において既に本件命令は失当である。

2 前述の如く、昭和四九・五〇両年度の賃金改定交渉は原告と組合との間の議事録確認書の作成により終結した。この議事録確認書は、原告・組合両当事者の署名捺印ある書面に作成され、労働協約としての効力を有する。而して右議事録確認は、両年度ともその内容を同じくし、「金額その他の内容は組合の了承があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する」旨の合意が明示されており、両年度の賃金改定は五月から実施することを確認のうえ妥結していることは明らかである。

(二) 妥結月実施の労使慣行の成立

仮に右(一)の主張が理由ないとしても、妥結月実施は、労使慣行となつているのである。

原告就業規則五〇条(昭和五〇年度においては改正就業規則五二条)には「社員の給与については別に定める給与規則による」と規定され、給与規則六条には「昇給は原則として毎年四月に行う」と規定されている。

組合結成前においては、原告の決定により原則どおり四月に賃金改定が行われていたところ、昭和三八年六月組合結成後は、労働組合の自主性・団体交渉権尊重の立場から各年度の賃金改定は、原告の一方的決定によらずに、組合と交渉して労働協約を締結し、これに基づき実施している。すなわち組合結成後の昭和三九年度春以来賃金改定はすべて、組合(昭和四四年七月に若竹会が結成された後は、組合及び若竹会)と交渉した結果に従い実施してきたのであるが、賃金改定実施の時期を「合意のできた月の初日」即ち妥結月からとすることは、昭和三九年春闘以来今日まで一貫して実行されてきた。その状況は計一〇回の賃金改定につき、四月実施が昭和四〇年、四三年、四五年乃至四八年の六回、五月実施が昭和四一年、四二年、四四年の三回、六月実施が昭和三九年の一回であり賃金改定の実施時期について妥結月実施は労使間の慣行となつているのである。

原告は、祝金・奨励金を会社の業績向上、目標達成等の理由により支給しているが、その金額は賃金改定の四月遡及分に見合うものではなく、また支給対象は組合所属従業員に限定されず、組合に加入していない一般従業員も管理職も含まれており、更に四月から賃金改定が実施されている年にも支給されているのであつて、祝金・奨励金の支給により四月分昇給額を補填し、事実上賃金改定の四月実施がなされているなどということはない。

(三) 妥結月実施の正当性

1 賃金改定は雇用契約の本質的内容たる賃金という労働条件に関し、従来の賃金額を変更することである。このように労働条件の変更である賃金改定は、労働者との個別的合意により行われるのが原則であるが、一般的には労働契約の内容をも規律する法規範である就業規則(給与規則等を含む)の規定に従い、労働契約の内容となつている労働者の包括的合意に基づき、使用者が一方的にこれを実施している。

しかしながら、労働組合の存在する企業にあつては、労働組合の自主性・団体交渉権尊重の立場から、労働組合と組合員の賃金基準につき改定交渉を行い、賃金の基準改定に関する労働協約を締結し、これに従つて賃金改定が実施される。この協約中には賃上額基準・配分方法・個々の組合員たる労働者の賃金改定基準とともに、実施期日も含まれるのが普通である。そして、一旦協約が締結された後は、原則として新たなる賃金改定に関する協約が締結されるまで前の協約どおりの賃金が支払われることとなる。

2 労働協約は、労使間の自主的判断に基づく意思の合致による合意によつて成立するものである。従つて、その効力発生時期は、特段の定めがない限り、労使の意思表示が合致し、協約が成立した時点であることは論をまたないから、賃金改定の協約も特段の定めのない限り、協約成立の日より賃金改定の効力が生ずるわけである。右協約中に含まれる実施期日の定めは、この効力発生時期に関する特約である。即ち、「妥結月実施」の定めは、協約による賃金改定基準による個々の労働者の賃金改定の実施日を協約が成立した日が属する月の初日に遡及させる特約である。

3 労働協約締結のための交渉は、労使が対等の立場に立つて自主的に且つ自由な意思に基づきこれを行うものであつて、この中で使用者が協約の効力発生時期に関して「妥結月実施」を提案することは何ら不当なものではない。賃金改定を妥結月の如何にかかわらず、四月から実施している企業の多いことは事実であるが、これが社会的慣行となっているわけではない。

むしろ、妥結月のいかんにかかわらず、四月に遡及して実施する、ということになれば、妥結月がいくら遅れても組合は不利にならないため、組合は使用者たる原告の誠意ある回答を顧みることなく、不当な高額要求を掲げていつまでも闘争を続けたり、他の問題(例えば多項目に亘る権利要求)を掲げてこれとの駆引に賃金改定交渉を利用したりして、徒らに闘争を長引かせることとなり、却つて組合の団交権・争議権の濫用を是認することとなり、正常な労使関係維持にむしろ悪幣をなすこととなるとともに、労使双方にとつて時間と労力の無駄となり、その損失も大きい。殊にスケジユール闘争が労働組合の一般的運動傾向となつている現在においては、この不当性は一層顕著となる。

更に、組合があくまでもその要求を通すために会社の誠意ある提案に反対して、賃金改定の実施時期の遅れを覚悟して闘つたために四月中に妥結せず、最終的には自らの判断の誤り、交渉力の不足等のために会社の提案をのまざるを得なかつたという場合に、今度はこの実施を四月に遡及しろというのは虫の良過ぎる主張という外なく、これを安易に認めることは、健全な労使関係形成のうえでかえつてマイナスになる。同一企業内に二つ以上の交渉団体が存し、各交渉団体がその自主的な判断により妥結の可否についての判断をなし、その判断が異つたために協約の締結日が異つた場合には、先に妥結した交渉団体との関係でも右主張の不合理性は一層顕著である。

4 妥結月実施の制度は、以上の如き悪幣を防止するため、できる限り早期に且つ妥当な基準での賃金改定の実施を促進するもので、合理的なものである。

(四) 組合の賃金改定が遅れた理由等

1 原告は、前記妥結月実施の慣行の中で、昭和四九、五〇両年度に亘り四月中に妥結可能な誠意を示すなど、早期妥結に努力しこそすれ、これを阻害した事実は全く存しない。

原告が、組合及び若竹会のいずれにも属さない従業員に対する賃金改定の基準を、四月三〇日に若竹会員のそれと同一内容で決定したことも、原告がその時点でそれ以上の基準は出し得ないと考えていたこと、従業員の大多数が若竹会に所属しており、これらの者の賃金改定基準が決定したにも拘らず、無所属の従業員の基準決定を遅らせることは不相当と判断したためであつて何ら不当なものではない。

2 昭和四九年度において、組合が賃金改定交渉を四月中に終結せず五月に持ち込んだことについては何ら正当な理由はない。すなわち、組合結成以来今日まで原告は春季賃上げ団体交渉において、原告の最終回答を必ず四月中に提示することを基本方針としており、昭和四九年春季賃上げ交渉においても、組合は原告が五月一日以降回答内容について更に積み上げを行う見込のないことを熟知していた。

原告は四月一七日に最終回答を提示し、組合とは四月二六日に団体交渉を行つたが合意に至らず、同月三〇日更に団体交渉を行つたが、組合はこの団交に先立つ同日昼、組合大会を開いてさらに交渉を五月段階に持ち込むことを決めていた。しかし五月に入つても組合は特別の手段方法を講じた事実がなく、団体交渉も五月一七日に形式的に一回行つただけで五月二七日、二八日両日の団体交渉では四月遡及の問題が議論されただけであつた。

昭和五〇年度についてもこの間の事情はほぼ昭和四九年度と同様であり、昭和五〇年四月二四日原告は組合に最終回答を提示し、翌二五日が四月中最後の団体交渉となり、次いで五月一六日に形式的な団体交渉を行つただけで五月二六日の団体交渉で議事録確認書を作成して終つているのである。

3 而して、昭和四九年度五〇年度の原告最終回答の金額、回答時期、同業他社との回答内容の比較、春闘の妥結状況、原告内部の事情等全ての事情を総合して勘案しても、この両年度の四月末の時点で組合が原告の回答を受諾できない特別の事情はなく、組合が回答受諾を五月時点に引き延ばした理由は、単に妥結月払いの原告回答撤回要求を具体的な意味のあるものとするだけのためであり、このような事案に対し労働委員会が救済命令を発する利益ないし必要性は全くなかつたのである。

(五) 以上のとおり、妥結月実施は一般的にもその正当性が肯認されるばかりでなく、妥結月実施の労使慣行の成立、昭和四九年・五〇年度の各賃金改定交渉の経緯に鑑みるとき、何らの不当労働行為性も存在しないことは明白である。

組合は、被告委員会の認定しているとおり、自己の力を過信し、情勢判断を誤つて交渉を五月に持ち込んで妥結するに至つたもので、この自主的な団体交渉の結果として発生した事態については、組合は、自己責任の原則に基づき、当然自ら甘受すべきものである。

(六) また本件命令は、申立人組合員中に立松清隆をも包含させているが不当である。即ち、原告は、同人に対し、名古屋地方裁判所昭和四一年(ヨ)第六三二号地位保全仮処分命令等に基づき一定の金員を支払つてきているが、同人に対する金員の支払は仮処分命令手続によるべきものであつて、本件命令に同人に対する給付を包含させることは明らかに誤りである。

三 よつて、原告は、被告が参加人ら申立にかかる原告を被申立人とする愛労委昭和五〇年(ネ)第二号不当労働行為救済申立事件について、昭和五一年八月一四日付でなした本件命令主文第一項第二項の取消しを求めるため本訴に及んだ。

第三被告の答弁

一 請求原因一(一)の事実は認める(但し命令書が原告に送達されたのは八月一四日である)。

同一(二)の事実は認める。なお本件命令書では「組合員は、組合員以外の者と同一職場で同一業務に従事している」ことも併せ考えて判断している。

二 同二(一)の事実中、議事録確認と題する書面には、原告の発言として「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意・妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する」と記載されていることは認め、その余は争う。

同二(二)の事実中、原告が組合に対して昭和三九年度以降妥結月実施を提案してきていること、昭和四九年度及び昭和五〇年度についても賃金改定に関する第一次回答で妥結月実施を明示していることは認め、その余は争う。

同二(三)(四)は争う。

同二(五)の事実中、本件命令書中に組合が自己の力を過信し情勢判断を誤つて本件両年度の賃金改定交渉を五月に持ち込んだ」との説示のあることは認め、その余は争う。

同二(六)は争う。原告は、被告の本件命令審査中立松清隆に関する主張は全くしていなかつた。

第四参加人らの答弁

一 議事録確認について

議事録確認では、金額等の内容面についての合意はできているが、原告の妥結月実施・組合の四月実施という従前からの主張については「実施時期は別として」と記載されているとおり合意がなかつたことは明白である。

二 妥結月実施の慣行について

右慣行はなく、五月以降に妥結した場合でも、むしろ実質的には四月遡及と同じ扱いが講ぜられてきた。

即ち春闘の妥結が実際的にも五月以降になつた昭和三九年・四一年・四二年・四四年においては、その都度四月遡及したならば支払われるであろう金額に見合う額が、春闘妥結直前ないし直後に祝金名目で支払われており、妥結月実施の慣行は存在せず、いわば妥結月実施と四月実施の対立は実質的に祝金により解決されてきた。ところが、組合の分裂後五月以降に妥結した本件昭和四九年、五〇年度春闘において実質的四月遡及がなされなくなつた。これは組合に対する不当労働行為意思によるものというべきである。

三 妥結月実施の違法性

原告は昭和三九年組合結成以来春闘において妥結月実施を主張し、これを低額回答の武器としてきた。

ところで、原告の就業規則五〇条、給与規則六条によれば昇給は原則として毎年四月に行うと定められており、これは労働契約の内容をなす。労使間で実施月につき合意が成立した場合には、前記原則に優先するが、合意が成立しない場合には特別に合理的な例外事由なき限り、四月実施の原則をはずし、妥結月実施を強要することは許されない。

とりわけ、組合のほかに若竹会ならびに無所属従業員が併存し、しかも組合員も同額で妥結しているにも拘らず、若竹会員及び無所属従業員に対してのみ四月実施をなして差別扱いをする合理的理由は全くなく、それが組合と若竹会及び無所属従業員の併存関係の中で組合のみに対する不利益扱い、ひいては組合の弱体化を企図してなされた不当労働行為であるとした本件命令は正当である。

四 立松清隆について

原告の従業員としての地位を保有し、かつ参加人組合員であれば、昭和四九年度五〇年度の賃金改定各四月分の不支給が不当労働行為である以上、右各四月分の支給を受ける権利を有するところ、立松清隆は昭和四一年二月二八日原告により解雇処分に付されたが、昭和四一年七月二〇日名古屋地方裁判所同年(ヨ)第六三二号仮処分事件で仮の地位を認められ、その後右仮処分事件は立松の勝訴が確定したから、同人は、原告の従業員としての地位があるという法律状態が形成されており、右地位が他の法的手続により取消されない限り、同人は原告と雇用関係にあり、かつ同人は参加人組合員でもあるから、立松は参加人組合員に対し加えられた本件不当労働行為の救済対象に他の組合員と同様に含まれる筈である。仮に立松を救済範囲から排除するなら、その範囲で原告の不当労働行為を労働委員会が許容する結果となり、かつ立松については、同人の本案訴訟の最終的確定を待たなければならないとすれば、除斥期間その他により同人の労働委員会において救済を求める権利が否定されるおそれもある。

第五証拠〈省略〉

理由

一 本件命令

原告の請求原因第一項(一)(二)の事実は当事者間に争いがない(但し本件命令は遅くとも昭和五一年八月一六日までには原告に送達されたことが当事者間に争いない)。

ところで、本件命令は要するに昭和四九・五〇両年度の賃金改定にあたり若竹会及び無所属従業員には四月(妥結月)から実施したのに対し、組合員に対しては五月(妥結月)から実施した原告の四月分不支給の行為は不当労働行為であるというのであり、これに対し、原告は、組合員に対する五月実施は、(一)議事録確認による合意に基づくものであること、(二)そうでないとしても妥結月実施は労使間の慣行であること、(三)慣行とまでは認められないとしても妥結月実施には合理性があり、原告には不当労働行為意思はないから、いずれにしても本件命令は違法として取消されるべきであると主張する。そこで以下順次原告の右主張について判断する。

二 議事録確認について

成立に争いのない乙第一号証の四、五、七ないし一〇、第二号証の二五、二六、四九、第三号証の五、三六ないし三八、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第二号証の一、二四、証人水谷修、同佐藤信の各証言によれば、次の事実が認められる。

原告は昭和三七年四月一日開局した放送事業免許に基づきテレビ放送を主たる事業とする株式会社であり、本件救済命令申立時の昭和五〇年三月当時の従業員は約二五〇名、そのうち管理職員は四九名であつた。組合は昭和三八年六月結成された。

そして、後記若竹会結成直前頃の組合員の数は約一五〇名であつたが、本件申立当時の組合員は三八名であつた。ほかに原告内には昭和四四年七月原告の従業員で組織された親睦団体である若竹会があり、本件申立当時の会員は約一〇〇名であり、組合及び若竹会のいずれにも加入していない従業員は約六〇名であつた。

昭和四九・五〇両年度の賃金改定交渉は、いずれも原告と組合間の議事録確認書の作成により一応終結した。右各議事録確認書は、原告・組合の署名捺印ある書面で、同書面には「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する」旨の文言が存するが、右文言の趣旨は、右両年度の賃金改定交渉は、実施期日を除いては合意に達し、実施期日については、原告が妥結月実施を、組合が四月一日遡及を主張して互に譲らず、ただ五月一日以降からの実施分は、結論的に争いがないことになるので、右争いのない範囲内でベアを実施するとの趣旨であり、右のように、実施期日について基本的な合意に達しなかつたので議事録確認の形式をとつたものであることが認められる。右認定に反する証人佐藤信の証言部分、乙第一号証の一〇、第三号証の五の各記載部分は措信できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

右事実によると、昭和四九・五〇両年度の賃金改定においては、金額その他内容面についての合意は成立したが、実施時期については、妥結月実施の合意は成立しなかつたのであり、このことは議事録確認書の文言上も明らかである。従つて妥結月実施は議事録確認書による合意に基づくものであるという原告の主張は採用できない。

三 妥結月実施の慣行

前掲乙第三号証の五、成立に争いのない乙第一号証の八、九、第三号証の六ないし一六、二〇、三一、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第二号証の二〇、甲第五、第六号証、証人佐藤信、同水谷修の各証言によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

原告における賃金改定については、就業規則五〇条(昭和五〇年度においては五二条)に「社員の給与については別に定める給与規則による」と規定され、これをうけて給与規則六条に「昇給は原則として毎年四月に行う」と規定されているところ、昭和三七・三八両年度は右規則に従い、昇給・賃金改定共に、原告の一方的決定により四月に実施されたが、組合が結成された昭和三九年度以降は、昇給・賃金改定共に組合と原告との団体交渉により実施されており、その実施状況は別紙賃金改定実施、祝金等支給一覧表(以下「別紙一覧表」という)記載のとおりである。そして、組合は賃上げの要求を、昭和四四年までは二月中旬頃までに、昭和四五年以降昭和五〇年までは三月初旬頃までになし、これに対し原告は三月末から四月二〇日前後にかけて回答し、その際常に妥結月実施を提案し(昭和三九年春闘において、二次回答がなされた四月二八日が最初の提案で、それ以来一貫して同一の提案を続けている)、これに対し組合は常に右提案に反対し、四月実施を主張していたものの、昭和四八年度までは妥結月実施の線で協定が成立し、そのとおり実施されて来た。即ち昭和四〇年、四三年、四五年は協定書の調印手続は五月であつたが、実質上四月中に妥結の合意が成立していたため、実施期日はいずれも四月一日とされ、昭和四四年は協定書の調印手続は六月であつたが、実質上五月中に妥結の合意が成立していたため、実施期日は五月一日とされ、その余の年度は妥結月と実施期日が同一月内となつている(四月中妥結四月一日実施は、昭和四〇年、四三年、四五年ないし四八年である)。

以上認定の事実によると、妥結月実施が労使の慣行になつていたと言えなくもない。しかし、元来労使慣行とは、当該企業における労使間において一般に当然のこととして異議をとどめず事実上の規範として確立していると認められるものであることを要すると解すべきところ、前記のとおり組合は、常に妥結月実施提案に反対して来たのであり、昭和四九、五〇両年度においては、妥結月実施の合意は労使間に成立しなかつたこと等に照らすと、右妥結月実施の慣行は、労使間の事実上の規範としての効力をもつ労使慣行とまで認めることは困難である。

ところで、参加人らは、四月に賃金改定が実施されなかつた年は、「祝金」「奨励金」の支給により四月分昇給額の補填がされ、賃金改定は実質上の四月実施がなされている旨主張する。

しかしながら、祝金奨励金は実質的には賃金の一部であるとしても、先に認定した別紙一覧表記載の各年度の祝金の額、支給理由に加えて、証人佐藤信、同水谷修の各証言を併せ考えると、祝金奨励金は原告が業績の向上、目標達成等の理由により従業員に一律に一定金額を支給したものであり、その金額は必ずしも四月遡及分に見合うものでなく、支給対象者には組合所属従業員のみならず組合に加入していない一般従業員、管理職も含まれていること、四月実施の年度である昭和三七年、三八年、四〇年、四三年、四五年ないし四八年にも支給されていることが認められる。

右事実によると、祝金奨励金の支給目的は、妥結月実施に伴う四月の不支給分補填のためになされたものとは認められないから、祝金等支給の事実は賃金改定は実質上四月実施であつたと認めるに足りる資料とはなし難く、参加人らの主張に沿う証人水谷修、同立松清隆の各証言部分及び水谷証人の証言により成立を認めうる乙第二号証の三一の記載部分は、たやすく信用し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠は存しない。

四 妥結月実施の正当性、合理性の存否

(一) 昇給ないし賃金改定につき妥結月実施の労働協約ないし労使慣行の存しない企業において、五月以降に妥結が持ちこされ、使用者はあくまで妥結月実施を主張し、組合は四月一日遡及実施を主張し、互に譲らないときは、四月一日から妥結月の前日までの昇給ないし賃金改定の支払をめぐる労使の法律関係は、個別的労働契約の内容いかんにより決する外はない。

(二) これを本件についてみるに、前掲乙第二号証の二五、第三号証の五、七ないし一六、三一、成立に争いのない乙第二号証の四、八ないし一〇、一二、一五ないし一七、四七、四八、第三号証の三二ないし三五、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第二号証の二九によれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

原告の賃金体系上基準内賃金は、基本給と役職手当、住宅手当、家族手当等に区分され、基本給は年齢給と職能給に区分され、この内年齢給は年齢に応じ定められ、職能給は一級職ないし五級職及び技能職に区分され、右各職級につき考課による昇給幅が定められている。そして原告においては組合成立以前の昭和三七・三八両年度における原告の一方的決定のときも、組合成立後の昭和三九年以降の労使協定においても、昇給(いわゆる定昇)と賃金改定(いわゆるベア)とは同時に行われており、協定の方式は、各年度共に年齢給については、一律に基準額を増額(ベア分)した上各従業員につき一律に一歳分を加算し(定昇分)、職能給については、各職級毎に一律増額(ベア分)と査定分(定昇分)を定めている。

昭和四九・五〇両年度における組合の要求、これに対する会社回答も右と同一の方式に基づくものであつた。

(三) 以上の事実によれば、原告においては、定昇とベアは一体のものとして同時に実施されて来たことは明らかであるから、前記給与規則六条にいう昇給の中には賃金改定(ベア)も包含されていると解釈することが労使の合理的意思に適合するというべきである。

してみると、右給与規則六条は、特別事情なき限り、個別的労働契約の内容をなすものであるから、原告の従業員である組合員も、労働契約上は、四月一日から妥結月の前日までの賃金改定及び定昇分の支払請求権を取得していると解するのが相当である。

(四) ところで、妥結月実施とは、妥結が五月以降に持ち込まれたときは、右の労働契約上の賃金債権を支払わないということであり、その旨の労使間の合意があれば格別、右の合意がない限り、使用者が独断でこのような措置をとることは私法上認められないこと多言を要しない。

そして、労使の合意なき限り、私法上認められない妥結月実施方式を使用者があくまで固執する場合は、特別事情なき限り、組合の運営に対する支配介入ないし組合員に対する不利益取扱として労組法七条一、三号に該当するというべきである。

蓋し、妥結月実施方式の右のような性質にかんがみると、それは、使用者がいわゆる春闘をできるだけ早期に解決するため、協定遅延の制裁を故なく組合に科したものとのそしりを免れず、合理性が認められず、一方組合としては、この制裁を免れるためには、不本意であつても、早期に妥結せざるを得ず、早期妥結を強要される結果となるから、組合の団交権に対する不当な抑圧的機能を営む面のあることは否定できず、これは、ひいて、組合からの脱落を促進する弊害を生む因子ともなりかねず、個々の組合員に対しては、正当な理由なき不利益取り扱いとなるから、労組法七条一、三号の不当労働行為と評価されても致し方あるまい。そして、この理は、二組合併存のときであると一組合のみのときであるとを問わず妥当すると考える。

五 そこで、本件につき特別事情の存否について以下判断する。

前掲乙第一号証の八、九、第二号証の四、九、一〇、一二、一五ないし一七、二四ないし二六、四七ないし四九、第三号証の五、成立に争いのない乙第二号証の三〇、四〇、四五、五八、第三号証の二、三、二四、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第二号証の五、一一、一四、一八ないし二三、三六ないし三八、四一ないし四四、五〇、五一、五六、証人水谷修、同佐藤信の各証言によれば、次の事実が認められる。

(一) 昭和四九年度賃金改定交渉の経緯

1 組合は昭和四九年三月四日付の要求書をもつて、昭和四九年度の賃金改定に関し、一律五万円のベースアツプ、諸手当の増額等本社勤務、妻・子一人の労働者で約六万八〇〇〇円増額の要求をなし、三月一五日までに回答するよう求めた。

2 三月一八日団体交渉が行われたが、原告は会社の業績の見通しが難しく、経済の動向が流動的であるから、回答は三月下旬か四月下旬になるであろうこと、要求が非常に高額かつ多岐にわたつているので、組合が満足するような回答を出すことは困難と思われることなど説明した。

3 原告は四月一日組合に対し、ベア二万〇六〇七円諸手当四二九八円合計二万四九〇五円及び従前どおり妥結月実施とするとの第一次回答をなした。原告の右回答は、民放各社の第一次回答の平均二万二九二九円を若干上廻つていた。これに対し組合は、平均三万円を下廻る回答は物価上昇に見合わず不当であるとして、更に一万円以上の積み上げ要求を行うこととし、五日にその旨の要求書を原告へ提出した。

4 原告と組合は第一次回答の後何度か折衝を重ねていたが、原告は四月八日に鉄鋼大手五社に二万五五〇〇円、造船重機八社に二万七五〇〇円の回答があり、四月一三日に私鉄が中労委斡旋で二万八五〇〇円で妥結、同日公共企業体が二万七六九一円の公労委仲裁裁定で妥結したことから、賃上交渉の早期解決のためには積み上げ修正を行う必要があると判断し、四月一七日賃上げ額を二万二六〇九円、諸手当七八四〇円合計三万〇四四九円及び妥結月実施とする旨の第二次回答をした。これは同年の民放各社の最終的な妥結額平均三万〇〇六〇円を若干上廻るものであつた。

5 しかし、組合は春闘相場は三〇%をこえていると新聞報道されていることなどを理由に、第二次回答を不満とし、四月二二日文書をもつて、物価上昇は二五%をこえており、手当こみで二五%に満たない第二次回答は不当であるから、最低一律五〇〇〇円の再積上げを要求した。

四月二六日団交が開かれたが、原告は右要求を拒否した。

四月三〇日、組合は臨時大会を開催し、五〇〇〇円の再積上げ、健康保険料、厚生年金保険料の全額会社負担、嘱託従業員の住宅手当支給、インフレ昂進物価高の生活圧迫深刻化など事情変更による賃金再交渉に関する協定、妥結月実施撤廃の要求を確認し、大会終了後原告と団交を行つたが、団交は不調に終つた。

翌五月一日組合は右の新要求を文書にして提出した。

6 五月一七日団交が行われたが、原告は第二次回答以上に積上げる考えはなく、妥結月実施の撤廃要求には応ぜられない妥結遅延により会社は損失を蒙るから、その責任を組合がとる意味からしても、妥結月実施は当然であるとして、双方の主張は平行線をたどり、何らの進展もみられなかつた。組合は五月二三・二四日の両日臨時大会を開催して討議した結果、原告の第二次回答を受入れざるを得ないが、妥結月実施については引続き交渉することを決定し、その旨原告に通告した。

7 五月二七・二八日の両日も団交を重ねたが、実施時期を、組合は四月一日原告は妥結月実施と主張して互に譲らず、かくて五月二八日組合と原告とは、昭和四九年度の賃金改定につき前記のとおり「実施時期は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意、妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。」旨議事録で確認し、原告は五月三〇日組合員に対して五月分の増額分を支給した。

8 若竹会は三月一〇日頃要求書をもつて賃金改定を要求した。原告は組合に対すると同時期に同一内容の回答をなしたが、若竹会幹事会は四月一七日の第二次回答以来原告と折衝を重ね、同月二六日右回答額で妥結することに決し、同月三〇日協定を締結した。

若竹会が妥結したのは、主としてこれ以上の積上げは期待できず、妥結月実施方式そのものには強い不満はあるが原告がこの方式を撤回しない以上四月中に妥結した方が良いとの判断に基づくものであつた。

9 昭和四九年度賃金改定について民放労連加盟のうち二六組合は五月以降になつて妥結したのであるが、四月に遡及して賃金改定が実施されなかつたのは日本テレビと原告名古屋放送のみである。しかし日本テレビは解決金名目で一律二万円を支払い、手当増額分については四月から実施している。

(二) 昭和五〇年度賃金改定交渉の経緯

1 組合は、三月五日要求書をもつて、昭和五〇年度の賃上げ額平均九万円(七%)等の要求をなし、同月六日団交を行い、組合は要求内容について原告に説明した。

2 三月二八日原告は、基本給諸手当合計平均一万七七二九円(アツプ率一三%)、妥結月実施とする旨の第一次回答をしたが、これはこの日までに出た民放各社の回答一〇社の平均一万六五五一円を若干上廻つていたが、組合はこれを拒否し第二次回答を要求した(昭和五〇年度における鉄鋼五社は一万八〇〇〇円、一四・八%で妥結し、民間大手企業の春闘は平均要求額三万七四四七円に対し、妥結額平均一万五二七九円、一三・一%であつた)。

四月一八日原告は、基本給を二四〇〇円増額し、二万〇一二九円の第二次回答をしたが、組合はこれを拒否した。

3 四月二四日原告は、第三次回答として基本給と住宅手当の積上げをして二万三一九六円を提示した。これは、民放各社の最終的な平均妥結額二万〇六三〇円を上廻るものであつた。組合は、原告の第三次回答は日経連経営者側が提唱していた一五%ガイドラインに沿つた内容であり、金額、アツプ率ともに低く、また妥結月実施を撤回していないなどの点から原告の再考を求めた。

4 四月三〇日組合は原告に対し、妥結月実施に反対を表明し、かつ第三次回答は賃上げ率一五%以下で不当であり、一六%に達するよう再考を求めたが、原告はこれを拒否した。

5 民放各社の春闘は五月に入つてなお続いたが、五月八日現在原告の回答は定昇込み平均の比較で全国順位二四位、二五歳二七位(前年二一位)、三〇歳二五位(同一八位)、三五歳二二位(同一三位)であつた。このような状況下で組合は五月七日の事務折衝及び同月一六日の団交で再積上げ、及び妥結月実施の撤回を要求したが、原告はこれを拒否し、結局組合は、同月二六日実施時期について合意に達することのないまま、金額については第三次回答を受け入れ、ここに双方は前記のとおり「実施期日は別として、金額その他の内容は組合の了承があつたから、それを事実上の合意妥結があつたと受けとつて、ベアは五月から実施する。なお、五月分の差額は五月二八日に現金で支給する。」旨議事録確認書に作成し、原告は組合員の賃金改定を五月から実施した。

6 若竹会は、三月四日要求書を提出し、原告は組合に対してなしたと同様に、同月二八日総額平均一万五四四六円の第一次回答、四月一八日総額平均二万〇一九七円の第二次回答、四月二四日総額平均二万三一九六円の第三次回答をなした。これに対し若竹会は、低額回答であることに不満であつたが、四月二八日に第三次回答額で妥結することを決定し、賃金改定交渉を妥結させた。原告は若竹会所属従業員の賃金改定を四月から実施した。

7 昭和五〇年度賃金改定について民放労連加盟中五月以降に妥結した単組は五二組合あるが、五月から実施したのは新潟放送と原告名古屋放送のみで、ほかはすべて四月遡及実施である。

六 以上に認定した昭和四九・五〇両年度における原告と組合の団交の経緯からすれば、原告としては、民放各社の最終的平均妥結額を若干上廻る額を最終回答として提示しており、早期に一次、二次ないし三次回答をなし、四月中に妥結すべく団交等に誠実に努力したことは明らかである。しかし、前記のとおり、民放各社の組合のうち五月以降に妥結したものは、昭和四九年度で二六組合、昭和五〇年度で五二組合も存するのであり、組合が原告に対し再積上げを要求し、団交を五月に持ち越したことは、他の組合の妥結状況と比較検討しながら要求を進めるのが通常である組合として無理からぬものというべきであり、また組合が故なく団交を拒否したり、過大要求を固執したりして、そのため有形無形の損害を原告に蒙らせたという事情は何ら存しない。

従つて、前記判断を覆えし、不当労働行為性を阻却するような特別事情は認められないという外はないから、原告が妥結月実施を固執し、組合員に対し、昭和四九・五〇両年度における四月分の増額賃金を支給しないことは、若竹会に対する四月分の支給とは関係なしに、そのこと自体労組法七条一、三号に該当する不当労働行為と認めざるを得ない。

七 立松清隆について

同人は原告から昭和四一年二月二八日に解雇されたこと、同人の解雇については名古屋地方裁判所から仮に従業員の地位を保全する旨の仮処分命令及び数次に亘り賃金仮払仮処分命令が発せられ、昭和四九年の賃金については同裁判所昭和四九年(ヨ)第八二〇号仮処分命令によつて同年五月から、昭和五〇年度の賃金については、同裁判所昭和五〇年(ヨ)第五八九号仮処分命令によつて、同年五月からそれぞれ改定増額賃金の仮払が命ぜられていることが成立に争いのない甲第一、第二号証により認められる。

従つて、同人に対する右両年度の改定賃金額の四月分の不支給は、他に特段の事情なき限り他の組合員とは異なり、同人が、被解雇者であり、かつその旨の賃金仮払仮処分命令が発せられていないことを理由とするもので不当労働行為意思に欠けると推認するのが相当であり、右特段の事情については何らの立証も存しないから、同人に対する右不支給が労組法七条一、三号に該当するとは俄かに即断できない。

これに反する参加人らの主張は採用しない。

なお、原告が被告の本件命令審査中立松清隆に関する主張をしていなかつたとしても、右事実は、主張、証拠の制限規定の存しない救済命令取消訴訟の制度上右判断に何らの消長を来さないことは当然である。

八 本件命令の適否

労働委員会による不当労働行為の救済命令は、必要な事実上の措置を命ずることにより、労使間の関係を、当該不当労働行為がなかつたのとできる限り同じ状態に回復させる目的のために必要な事実上の措置をとることを命ずるものであるが、いかなる場合にどのような内容の救済命令を発するかについては法令に特段の定めはなく、右目的の範囲内において労働委員会の裁量に委ねられているものと解せられる。してみれば、本件において、被告が原告に対し、前示不当労働行為の救済に必要な措置として、参加人組合所属の組合員に生じている不利益を回復するための昭和四九年度及び昭和五〇年度の賃金改定をそれぞれ四月一日に遡及して実施し、実施前支払済額との差額支払(但し立松清隆分を除く)と、原告が参加人組合所属の組合員を、賃金改定の実施時期についての不利益取扱禁止を命じたことは、いずれも相当というべく、ただ立松清隆に対しても前記差額支払を命じたことは失当というべきである。

九 結論

以上のとおり、原告の本訴請求は本件命令中立松清隆に関する部分は正当であるから認容し、その余は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用及び参加費用につき民訴法八九条、九二条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙命令書)

主文

一 被申立人名古屋放送株式会社は、申立人民放連名古屋放送労働組合の別紙記載の組合員に対し、昭和四九年度及び昭和五〇年度の賃金改定をそれぞれ四月一日にそ及して実施し、実施前支払済額との差額をすみやかに支払わなければならない。

二 被申立人名古屋放送株式会社は、申立人民放連名古屋放送労働組合の組合員を、賃金改定の実施時期について不利益に取扱つてはならない。

三 申立人らのその余の申立ては棄却する。

(別紙省略)

賃金改定実施・祝金等支給一覧表

備考 (1)※印:前月中に実質妥結

(2)( )内:議事録確認

年度

(昭和)

賃金改定実施状況

祝金等支給一覧

組合要求日

会社回答日

協定日

実施期日

支給月

支給内容

支給理由

37年

交渉団体無し

4月1日

4月

手取り5,000円

開局記念

38年

同上

4月1日

4月

6月

手取り5,000円

一律3,000円

開局1周年記念

売上1億5千万達成

39年

2月8日

3月16日

4月28日

6月18日

6月1日

6月

基本給×0.2+2,000円

売上2億突破

40年

2月15日

3月23日

4月20日

4月27日

5月12日

4月1日

10月

一律3,000円

新社屋完成

41年

2月15日

3月28日

4月20日

5月30日

5月1日

6月

12月

一律5,000円

一律3,000円

売上12億突破(第10期)

業績向上奨励

42年

2月15日

3月28日

4月20日

5月11日

5月24日

5月1日

6月

12月

一律10,000円

一律10,000円

業績向上奨励

スポット売上1億突破

43年

2月15日

3月1日

4月20日

5月17日

4月1日

12月

一律20,000円

売上3億突破、視聴率向上

44年

2月20日

3月20日

6月9日

5月1日

1月

6月

12月

一律5,000円

一律5,000円

手取り10,000円

業績向上奨励

スポット売上1億5千万突破

売上新記録・年末繁忙

45年

3月2日

3月31日

4月18日

5月1日

4月1日

5月

手取り30,000円

売上4億突破

46年

3月10日

3月31日

4月19日

4月30日

4月1日

47年

3月9日

3月30日

4月18日

4月28日

4月1日

4月

11月

手取り

勤続10年100,000円

〃5~9年80,000円

〃3~5年50,000円

〃3年未満30,000円

手取り50,000円

開局10周年記念

売上5億突破

スポット売上3億突破

48年

3月9日

3月28日

4月20日

4月28日

4月1日

6月

12月

一律50,000円

手取り100,000円

奨励金(系列一本化)

売上6億突破

49年

3月4日

4月1日

4月17日

(5月28日)

5月1日

7月

12月

一律40,000円

一律80,000円

業績向上奨励

売上新記録

50年

3月5日

3月28日

4月18日

4月24日

(5月26日)

5月1日

〔参考資料〕

命令書

(愛知地労委昭和五〇年(不)第二号 昭和五一年八月一四日 命令)

申立人 民放労連名古屋放送労働組合 外二名

被申立人 名古屋放送株式会社

主  文〈省略〉

理由

第一認定した事実

一 当事者等

(1) 申立人民放労連名古屋放送労働組合(以下「組合」という。)は、被申立人名古屋放送株式会社の従業員をもつて昭和三八年六月結成され、申立人日本民間放送労働組合連合会及び申立人民放労連東海地方連合会に加盟する労働組合であり、本件申立時の組合員は三八人であつた。本件申立後の昭和五〇年四月一五日組合員飯塚庸子は、会社を任意退職し、組合員資格を喪失した。

(2) 申立人日本民間放送労働組合連合会(以下「民放労連」という。)は、全国の民放労連加盟の単位労働組合をもつて組織された連合団体であり、本件申立時の組合員は約一一、〇〇〇人であつた。

(3) 申立人民放労連東海地方連合会(以下「東海地連」という。)は、東海地方の民放労連加盟の単位労働組合をもつて組織された連合団体であり、本件申立時の組合員は約五六〇人であつた。

(4) 被申立人名古屋放送株式会社(以下「会社」という。)は、肩書地に本社を置き、東京及び大阪に支社を、豊橋、岐阜及び津に支局を有し、放送事業免許に基づきテレビ放送を主たる事業とする株式会社であり、本件申立時の従業員は約二五〇人であつた。

(5) 会社には、組合のほかに、昭和四四年七月会社の従業員で組織された親睦団体としての「若竹会」があり、本件申立時の会員は約一〇〇人であつた。そのほか、組合及び若竹会のいずれにも加入していない従業員(以下「無所属従業員」という。)が本件申立時に約六〇人いた。

二 労使関係

(1) 組合結成後の昭和三九年七月二八日会社は春闘時の組合活動を指導した組合役員全員に出勤停止処分及びけん責処分を初めて行い、その後三回ほど組合役員に対し、春闘・夏闘時の組合活動等を指導した責任を追及して同様の処分を行つた。

(2) 夏季一時金交渉中の昭和四一年七月八日組合が指名ストライキを放送の中枢部門である送出部門に拡げたため、会社は全組合員にロツクアウトを通告し、以後一か月間組合員を会社構内から排除した。

(3) 昭和四二年九月二七日以後組合員佐藤葉子が女子三〇歳定年制により会社を退職し、嘱託契約者として会社で就労することになつたため、組合は、以後毎月二七日を女子三〇歳定年制撤廃の統一行動日として、一日ストライキ等の抗議を行つた。

(4) 昭和四四年四月三日会社が組合員大木捷代を女子三〇歳定年制により退職扱いとしたため、同人は名古屋地裁へ地位保全の訴を提起し、組合は四月二四日同人の支援ストライキを行い会社に抗議した。

当時報道職場を拠点に「スボボダ」なるビラを会社内で配付していたスボボダ派の組合員が、前記佐藤及び大木の女性二人は組合にあやつられた猿回しの猿のようだと記載したビラを配付したことに端を発し、組合の分裂が表面化した。

(5) そして、昭和四四年五月一二日から一五日にかけて、職場ごとにまとまり組合員が大量脱退したが、会社の六月一六日付労務情報第七号には「組合の執行部は組合という組織をかりてその政治目的達成のために狂奔しており、組合の中にあつてこのような実体を知つた多数の組合員は激しい非難やつるし上げにも負けず勇気をもつて彼等とたもとを分かちました。管理職各位にも、更に積極的な姿勢で企業と生活の防衛に努力されるよう要望する。」旨が掲載され、これが会社の役員及び管理職に配付された。

(6) 昭和四四年七月組合脱退者によつて親睦団体若竹会が結成されたが、一方、組合の方は、分裂前約一五〇人ほどいた組合員は六八人に激減した。

(7) その後組合は、組合員に対する不利益取扱いの是正、組合員立松清隆の解雇撤回、女子三〇歳定年制の撤廃等七項目からなる全面解決要求書を会社に提出して交渉してきたが、物別れに終つた。

(8) 昭和四九年七月一〇日組合、民放労連及び東海地連(以下総称して「申立人ら」という。)並びに組合の組合員一六人は、昇進人事において不利益に取扱われたとしてその是正を求めて当委員会に不当労働行為救済申立てをし、昭和五一年七月二〇日当委員会は、組合員一六人中、一一人を主事又は副参事に昇格させるよう会社に対して救済命令を発した(愛労委昭和四九年(不)第一三号事件)。

三 過去の賃金改定状況

(1) 会社は、昭和三七年度及び昭和三八年度の賃金改定については、会社の給与規則第六条(昇給は原則として毎年四月に行う。)に基づき実施した。組合結成後の賃金改定は昭和三九年度からで、会社は、賃金改定については妥結した月から実施するとの基本方針のもとに、組合と賃金改定につき団体交渉(以下「団交」という。)を経て、改定額、実施時期につき合意を得たうえで、賃金改定に関する協定を組合との間で締結して実施しており、昭和三九年度から昭和四八年度までの賃金改定状況は表一のとおりである。

表一

年度

協定日

実施日

備考

三九

六月一八日

六月一日

業績手当のみ五月一日実施

四〇

五・一二

四・一

四月三〇日の団交で合意し、協定書のみ五月一二日締結

四一

五・三〇

五・一

四二

五・二四

五・一

四三

五・一七

四・一

四月末に合意し、協定書のみ五月一七日締結

四四

六・九

五・一

五月三一日の団交で合意し、協定書のみ六月九日締結

四五

五・一

四・一

四月三〇日の団交で合意し、協定書のみ五月一日締結

四六

四・三〇

四・一

四七

四・二八

四・一

四八

四・二八

四・一

(2) また、昭和四四年七月若竹会が結成されてからも会社は、妥結月実施の方針のもとに若竹会と賃金改定につき組合とほぼ歩調を合せて交渉を行い、改定額、実施時期につき合意を得たうえで、賃金改定に関する協定を締結して実施しており、組合との間に締結された協定と同じであつた。

(3) 更に、会社は、組合結成後の昭和三九年度から昭和四四年度までの間、非組合員に対する賃金改定の実施にあたつては当時従業員の四分の三以上が加入していた組合との間で締結された協定を適用し、若竹会結成後の昭和四五年度から昭和四八年度までの間、無所属従業員に対する賃金改定の実施にあたつては組合及び若竹会の協定(いずれも同一内容)をそれぞれ適用した。

四 祝金支給状況

(1) 会社は、開局以来会社の従業員に対して、開局記念、開局一周年記念、社屋完成、目標売上額突破等の際、祝金を支給してきたが、その状況は表二のとおりである。

表二

支給年月

金額

事由

昭和三七年四月

手取五、〇〇〇円

開局記念

三八・四

手取五、〇〇〇円

開局一周年記念

三八・六

一律三、〇〇〇円

売上一億五千万円突破

三九・六

基本給×〇・二+二、〇〇〇円

祝金

四〇・一〇

一律三、〇〇〇

社屋完成

四一・六

一律五、〇〇〇円

売上二億円突破

四一・一二

一律三、〇〇〇円

四二・六

一律一〇、〇〇〇円

業績向上奨励

四二・一一

一律一〇、〇〇〇円

スポット売上一億円突破

四三・一二

一律二〇、〇〇〇円

売上三億円突破。視聴率向上

四四・一

一律五、〇〇〇円

業績向上奨励

四四・六

一律五、〇〇〇円

スポット売上一億五千万円突破

四四・一二

手取一〇、〇〇〇円

一一月、一二月売上新記録。年末繁忙

四五・五

手取三〇、〇〇〇円

四月売上四億円突破(万博)

四七・四

勤続三年未満

(手取)三〇、〇〇〇円

〃三~五

(手取)五〇、〇〇〇円

〃五~九

(手取)八〇、〇〇〇円

〃一〇

(手取)一〇〇、〇〇〇円

開局一〇周年記念

四七・一一

手取五〇、〇〇〇円

一〇月売上五億円突破

一一月スポット売上三億円突破

四八・六

一律五〇、〇〇〇円

奨励金(系列一本化)

四八・一二

手取一〇〇、〇〇〇円

売上六億円突破

四九・七

一律四〇、〇〇〇円

奨励金

四九・一二

一律八〇、〇〇〇円

売上新記録(一一月六億二千万円突破)

(2) 前記祝金支給のうち、昭和四一年六月の一律五、〇〇〇円の支給にあたつて会社は、同年五月二八日の組合との団交で、妥結月から支払うというのが基本方針であるが、何らかの形で誠意を示す旨、また、昭和四二年六月の一律一〇、〇〇〇円の支給にあたつては、同年五月一一日の団交で、祝金は四月分の賃金改定分及び定期昇給分に見合うものであるがごとき発言をした。

五 昭和四九年度の賃金改定

(1) 組合は、昭和四九年三月四日賃上げ額一律五〇、〇〇〇円と、物価上昇による賃金スライド制の導入、諸手当の増額等からなる春季要求書を会社に提出し、三月一八日第一回の団交を行つたが、組合の要求説明程度で終つた。

(2) 会社は、四月一日組合に対し、賃上げ額二〇、六〇七円、諸手当四、二九八円及び妥結月実施とするとの第一次回答をした。組合は、平均三〇、〇〇〇円を大きく下回る回答は生活破壊を示す狂乱回答であるとして、四月四日ストライキ集会を開き、第一次回答に対する抗議と一〇、〇〇〇円以上の積上げ要求を文書にして会社へ提出した。

(3) 会社は、四月一七日組合に対し、賃上げ額二二、六一九円、諸手当七、八四〇円及び妥結月実施とする旨の第二次回答をした。組合は、四月二二日、第二次回答で妥結することはできないとして、最低五、〇〇〇円の積上げを求める要求書を会社に提出した。更に、組合は、四月三〇日臨時大会を開催し、改めて五、〇〇〇円の積上げ、妥結月実施の撤廃等五項目からなる要求を確認し、大会終了後会社と団交を行つたが、要求につき前進が見られないため、五月に入つてからも交渉を継続することを会社に通告した。

(4) 五月一七日組合と会社との間で団交が行われたが、組合の積上げ及び妥結月実施反対の要求については何らの進展も見られなかつた。組合は、五月二三・二四日と臨時大会を開催し、情勢等を検討した結果、改定額については会社の第二次回答額を受け入れざるを得ないが、妥結月実施については引続き交渉することを決定し、会社に妥結通告を行つた。通告の中で組合は、妥結月実施は受入れ難いこと、四月一日から実施することで賃金改定に関する協定を締結すること及び仮にその締結が不可能な場合でも給与規則第六条に基づき四月一日から実施することを申入れた。

(5) 更に、組合は、五月二七・二八日会社と団交を重ね、実施時期を四月一日とすること等について会社の再考を求めたが、その要求は認められず、結局、実施時期については合意を見ることができないまま会社に対し、第二次回答額で合意する旨伝えた。

会社は、昭和四九年度の賃金改定については、実施時期は別として、額については合意があつたものとみなし、五月から実施すると組合に伝え、その趣旨を組合との間の議事録で確認した。そして、会社は組合員の賃金改定を五月から実施した。

(6) 一方若竹会は、三月一〇日ころ賃金改定に関する要求書を会社に提出し、以後交渉を進め四月三〇日第二次回答額で妥結した。会社は、若竹会に対する第一次回答の中でも妥結月実施を明示しており、若竹会に属する従業員の賃金改定を四月から実施した。

(7) 更に、会社は、無所属従業員に対する賃金改定については、労働組合法(以下「労組法」という。)第一七条の一般的拘束力の考え方により若竹会との協定内容で実施することを決定し、若竹会と四月三〇日妥結した直後その内容を発表した。賃金改定の時期が若竹会は四月、組合は五月とそれぞれ異なる結果になつたのは初めてであつたため、会社は、念のため会社の決定を無所属従業員に通知し、異議のないことを文書で確認したうえ賃金改定を四月から実施した。

六 昭和五〇年度の賃金改定

(1) 組合は、昭和五〇年二月二七日臨時大会で昭和五〇年度の賃上げ額平均九〇、〇〇〇円(アツプ率七〇%)、ポイント賃金体系導入等の要求を決定し、三月五日春季要求書として会社に提出し、翌六日会社と団交を行つた。席上会社は、昭和五〇年度の賃金改定については、三月二五日開催される会社の役員会で決定されてからでないと結論が出ず、どの程度にするか現在資料を検討中であり、組合の要求した回答指定日の三月二四日までには回答しかねると通告した。

(2) そして会社は、三月二八日組合に対し、賃上げ額平均一七、七二九円(アツプ率一三%)、妥結月実施とする旨の第一次回答をした。組合は、この第一次回答を拒否し、アツプ率三五%を打ち出し、第二次回答を要求してストライキを決行した。

(3) 会社は、四月一八日組合に対し、賃上げ額平均二〇、一二九円(アツプ率一四%)の第二次回答をしたが、組合はこれも拒否した。

(4) 更に、会社は、四月二四日組合に対し、賃上げ額平均二三、一九六円(アツプ率一六%)の第三次回答をした。組合は、会社の第三次回答は日経連、経営者側が提唱していた一五%ガイドラインに沿つた内容であり、生活実態から考えて額及びアツプ率ともに低く、年齢別ポイント賃金体系導入要求及び賃金以外の諸要求にいずれも答えていないこと、妥結月実施の攻撃に屈して妥結するのは基本的に誤りであること等を理由に、五月に入つてからも交渉を継続することを決定した。

(5) 組合は、五月に入つてからも賃上げ額の積上げ及び妥結月実施反対の要求を掲げてストライキ等を行つたが、前進を見ることができず、結局、実施時期については合意を見ることができないまま五月二六日の団交で、第三次回答額を受入れこれで収拾する旨会社に通告した。会社は、昭和五〇年度の賃金改定については、実施時期は別として、額については合意があつたものとみなし、五月から実施すると組合に伝え、その趣旨を組合との間の議事録で確認した。そして、会社は組合員の賃金改定を五月から実施した。

(6) 一方、若竹会は、三月四日ころ、基本給三五%アツプの賃金改定に関する要求書を会社に提出し、以後会社と交渉した。若竹会は、会社の第一次回答に対しては、要求アツプ率三五%に達しないとして拒否し、第二次回答を要求した。更に、会社の第二次回答を得た若竹会は、四月二一日低額回答打破の全員集会を開催し、声明文を採択して会社に提出し、四月二二日第三次回答を要求して会社と交渉した。若竹会は、会社の第三次回答に対しても不満を示し、幹事の有給休暇取得を評議員会で決議した。四月二五日有給休暇を取得した若竹会の幹事が会社と交渉して再考を求めたが、何らの進展も見られず、結局、若竹会は四月二八日会社の第三次回答額で妥結することを決定し、会員間に不満を残したまま賃金改定要求を収拾した。そして会社は、若竹会に属する従業員の賃金改定を四月から実施した。

(7) 更に、会社は、四月三〇日無所属従業員に対する賃金改定については、昭和四九年度と同様若竹会との協定内容で実施することを決定し、無所属従業員の同意確認を取ることなく四月から実施した。

第二判断及び法律上の根拠

一 民放労連及び東海地連の申立適格

会社は、組合の組合員は民放労連及び東海地連に直接所属しているものではなく、組合が民放労連及び東海地連に加盟しているにすぎない、従つて、組合の組合員が民放労連及び東海地連の組合員として組合活動をなしたことはないから、会社が民放労連及び東海地連に対する支配介入とか、組合の組合員に対する民放労連及び東海地連の組合活動を理由とする不利益取扱いは理論的には考えられず、民放労連及び東海地連の本件申立適格は甚だ疑問であると主張するので、以下判断する。

第一、一、(1)から(3)で認定したとおり、民放労連及び東海地連は、それぞれ加盟する単位労働組合をもつて組織された連合団体であり、その下部組織である組合の団結権の行使について多大の関心をもつのは当然で、直接的でないにせよ利害関係をもつ上部団体であるから、本件につき申立権を有するものと解するのが相当であり、会社の主張は当を得ていない。

二 賃金改定の実施

申立人らは、従前の賃金改定では、昭和三九・四一・四二・四四年度には五月あるいは六月に妥結したが、その都度妥結の直前・直後に、四月そ及に見合う金額が祝金の名目で組合員を含む全従業員に支給されており、これは妥結月遅れによる賃金差額の事実上の補てんであり、賃金改定につき妥結月実施の慣行は全くないと主張する。

これに対して、会社は、祝金は会社の業績向上奨励等の場合、理由を明示して支給している恩恵的支給金であり、組合結成以前の昭和三七・三八年はもとよりのこと、四月から賃金改定した昭和四五・四八年においても支給しており、祝金の支給と賃金改定の実施時期とは何ら関係のないものであり、賃金改定に関する協定に基づく妥結月実施は組合結成以来の労使慣行であると主張するので、以下判断する。

会社における組合との間の昭和四八年度までの賃金改定の実施状況は第一、三、(1)で認定した表一のとおりであり、また、会社の従業員に対する祝金の支給状況は第一、四、(1)で認定した表二のとおりである。そして表一及び表二を対比してみると、なるほど組合結成以前及び組合結成後においても四月から賃金改定の実施がされた昭和四五・四七・四八年の四月から六月に祝金が支給されている。しかしながら、第一、四、(2)で認定した発言が賃金改定の団交でなされている事実からみると、組合結成後五月又は六月に賃金改定が実施された昭和三九・四一・四二・四四年の各六月に支給された祝金が、それぞれ目標売上額突破等の理由があるとしても、四月から賃金改定がなされなかつたことに対する補てんの意味も含まれていたと認められ、昭和四八年度までの賃金改定は事実上四月に実施されたと認められないことはない。

三 昭和四九年度及び昭和五〇年度の賃金改定実施

申立人らは、組合との賃金改定にあたつて会社は、昭和四九年度においては妥結月実施と第二次回答に固執し、昭和五〇年度においては妥結月実施と一五%ガイドラインに固執し、いずれも実施時期につき合意のないまま組合員に対して五月から実施し、一方、無所属従業員に対しては組合と同額で四月に妥結した若竹会の例にならい四月から実施した、会社の給与規則第六条によれば昇給は原則として毎年四月に行うと規定され、これは単なる労働者の期待権ではなく、労働契約の内容というべきものであるから、労使間で実施につき合意ができた場合は格別、本件のごとく組合と会社との間に実施時期につき合意のない場合には原則にかえつて若竹会及び無所属従業員と同じ扱いにすべきであり、会社が組合員に対してのみ五月実施したのは、労組法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であると主張する。

これに対して、会社は、賃金改定は一般的には給与規則に従い従業員の包括的合意に基づき会社が一方的にこれを実施するが、組合が結成されてからは、組合の自主性、団交権を尊重し、賃金改定に関する協定を締結して実施してきたものであつて、昭和四九・五〇年度の賃金改定においても会社は四月中に妥結可能な回答を組合及び若竹会に提示したのに、組合が四月中に妥結し得なかつたのは、ひとえに組合が力を過信し、高額要求の獲得に固執して交渉を継続した組合の判断の誤りに起因するものであり、一方、若竹会は四月に妥結し、無所属従業員については若竹会の例にならうこととし昭和四九年度は念のため確認書をとつて、それぞれ四月実施したものであり、組合と若竹会及び無所属従業員との間の実施時期に差異が生じたのは、各々の自主交渉の単なる結果にすぎず、会社には組合を差別しようとの意図はないと主張するので、以下判断する。

(1) 第一、三で認定したとおり、会社は、組合結成以後若竹会結成までの間賃金改定にあたり、当時従業員の四分の三以上の者が加入する組合とは団交を経て協定を締結して実施し、一方、少数の非組合員に対しては、会社の給与規則第六条(昇給は原則として毎年四月に行う。)によることなく、組合との間で締結された協定を適用して、昭和三九年度は六月、昭和四一・四二・四四年度は各五月から実施した。また、若竹会結成後の昭和四五年度から昭和四八年度までの間賃金改定にあたり、会社は、組合及び若竹会とそれぞれ個別交渉を経て同一内容の協定を締結して実施し、無所属従業員に対しては組合及び若竹会との協定を適用して実施した。

そして、昭和四九・五〇年度の賃金改定についても第一、五及び六で認定したとおり、会社は、無所属従業員の賃金改定については、労組法第一七条の一般的拘束力の考え方により若竹会との間で締結された協定を適用することを決定し、四月から実施している。

(2) ところで、組合員に対する昭和四九・五〇年度の賃金改定は五月から実施されているが、会社の過去の賃金改定の実施状況は前記二で判断したとおりであること、非組合員及び無所属従業員に対する賃金改定の実施状況は前記(1)のとおりであること、給与規則第六条が存在する反面、第一、五、(5)及び第一、六、(5)で認定したとおり、昭和四九・五〇年度には組合との間の賃金改定に関する協定がなく、単に額についての議事録による確認があるに過ぎないこと並びに組合が同意した額は組合員以外の従業員に対して実施されたものと同一であり、組合員はそれら従業員と同一職場で同一業務に従事していることを併せ考えれば、組合が自己の力を過信し、情勢判断を誤つて五月に交渉を持込んだ責任の一端があるとはいえ、この組合員に対してのみ五月から賃金改定を実施した会社の行為には合理性を見出すことはできない。

むしろ、第一、二で認定した労使関係をも併せ考えると、組合の自主性、団交権尊重と従前からの表面的な妥結月実施を理由として組合員を不利益に取扱い、ひいては組合の弱体化を企図したものと判断するのが相当であり、これは労組法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為である。

四 その他

(1) 第一、一、(1)で認定したとおり、組合の組合員飯塚庸子は、本件申立後の昭和五〇年四月一五日会社を任意退職し、組合員資格を喪失した。従つて、同人に係る申立ては救済の対象から除外するのが相当である。

(2) 申立人らは差額の支払いにあたつて年六分の利息を付して支払うよう求めているが、不当労働行為救済制度の趣旨及び本件紛争の経緯にかんがみ、申立人らの請求は認容し難い。

(3) 申立人らの求める昭和四九・五〇年度の各四月一日からの賃金改定に関する協定の締結並びに陳謝文の交付及び掲示については、主文第一項及び第二項のとおり命令することによりその目的を果し得ると判断する。

よつて、当委員会は、労組法第二七条及び労働委員会規則第四三条により主文のとおり命令する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例